![20210329岩間地区押辺の鹿島神社](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=470x1024:format=jpg/path/scd97dec71863ec94/image/i0bd432df50aec4f0/version/1620722660/20210329%E5%B2%A9%E9%96%93%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E6%8A%BC%E8%BE%BA%E3%81%AE%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
・『更科日記』のこしのびの森は岩間の「押辺」
更科日記の中に、「こしのびの森」と言う子供を偲んで詠まれた歌があります。
この場所については、コシノビが転化し、オシノベになった、従ってこしのびの森は岩間の押辺ではないか?という説が最も有力です。
証拠はありませんがこの森は押辺の鹿島神社の森ではないかと見る人もいます。
2021年3月29日現在鹿島神社は 畑の中の小さな森のなかにあります。
平安時代よりも 趣が薄くなっているかもしれません。
菅原孝標が、常陸の国 石岡に来たのが1032年。
それから、989年。
約千年の時が流れました。
石岡市史の文苑に,
長元五年(一〇三二)二月八日に菅原孝標は常陸介(事実上の国司)に任命され、石岡に来た。
角川地名大辞典より下記抜粋
「子忍びの森(古代)」
平安中期に見える地名長元5年7月に常陸介として常陸国に下った菅原孝標が京に残した娘に送った手紙に
「神拝といふわざして国の内ありきしに,水おかしく流れたる野の,はるばるとあるに,木むらのある,おかしき所かな……こゝはいづことかいふと問へば,子忍びの森となむ申すと答へたりしが」と見え
「とゞめきてわがごと物や思ひけむ見るに悲しき子忍びの森」と詠んでいる(更級日記)
比定地は未詳
茨城郡押延【おしのべ】村の音が「こしのび」に近く,付近を蒜間川(または宍戸川)が流れ,広々とした野があることから同日記の記述に一致し,また往来の大道からも近いため,この付近の森を指すという説もあるが(新編常陸),確定しがたい
3月29日 撮影 笠間市岩間地区押辺の鹿島神社
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